黒龍隊の挽歌 第一話
黒龍隊
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西暦二〇二二年十二月。暦は最後の月に突入し、北半球では寒さも厳しい時節となった。
日本でもここ数日は、関東地方さえ朝から霜の降りるほどの寒さで、八年ぶりの厳寒を迎えたようだった。二十三年前の「八月の悪夢」以来、二度目のことになる。前回の寒波では亜細亜連邦でも多数の死者が出たが、八年前と同じ轍(てつ)を踏むほど代行執政府は愚鈍ではない。各自治政府に指示を出し、野外生活者にも毛布を配布しできる限り共同仮設住宅に収容させている。
だが問題が全く無いわけではない。農業や畜産業への影響は、ただでさえ戦争でライフラインが打撃を受けているところに追い打ちをかける虞(おそれ)がある。ここにきて食糧価格が高騰すれば、日々の生活が脅かされるばかりか、エデンに代表される反政府組織が野放図に走る危険因子にもなる。中央議会左院は、極東方面軍轄区における治安維持部隊の増員申請を認可する見込みらしい。
そんな内容のニュースがラジオから聞こえていた。
二十二歳の青年下士官、南田竜時は、時折大きく揺れる幌つきトラックの荷台で呟いた。
「実感が湧かないな、軍人になったっていっても」
南田が任官されたのは今日付けである。だが、士官学校で四年弱を過ごしているだけに、民間人から軍人になった境目というものが感じられなかった。部隊配属が予定より早まり、教育課程の最後をラッシュでこなした忙しさもある。
「とりあえず、来月から仕送りが増やせるぜ」
隣にいた若者が笑いながら口を挟んできた。名は坂元唯史。士官学校四年目で南田と同じ特別課程に進んだため、よく知った仲である。坂元はそれ以上続けず、手鏡で髪の具合を確認するのに没頭していた。
「ヘルメットかぶったらおしまいだろうが、そんな髪」
もうひとりの同乗者、鷹山諒真がやっかむように言った。
「お前に言われたくないね」
坂元が、鷹山の髪を見ながら言い返した。鷹山の茶色い髪は、鳥の巣と異名をとるほどの天然の癖毛である。それでも、ジェルなど使ってなんとか形を整えているのだ。ただ、使っているのが安物だけに、ヘルメットなどかぶろうものなら後が大変である。
文面だけ見れば剣呑に聞こえるかもしれないやり取りだが、ただの軽口の応酬である。坂元と鷹山といえば、馬の合っているルームメイトコンビの代名詞だった。それがわかっているので、南田が仲裁に入ることはない。
ニュースに興味をなくした南田は、音楽番組を求めて周波数をいじってみたが、興味のない民謡しか放送されていなかった。放送局が資金不足で機材のメンテナンスを怠ったのだろうか。田舎のほうではよくある話だったが、関東でも東京を離れればこんなものかと、南田は溜め息をついた。もう一度だけ選曲ツマミを回してみてから、諦めてラジオのスイッチを切った。
南田は荷台後部に移ると、幌の隙間から外を見た。
寒空の下、人気の少ない旧市街地にぽつぽつと明りがともっている。聞くところによると、首都東京にそこそこ近いということで、このあたりの住民は多くが疎開しているらしい。開戦当初は疎開する人数も少なかったのだが、二方面軍が壊滅した頃からその数が増え始め、筑波に敵襲があったらしいとの噂が流れたのが、決定的な引き金となったのだそうだ。
南田が聞き知っているのはそこまでだが、この方面に赴任したからには、遅からず知ることになる事情というものがある。疎開した者のなかには、住居を土地ごと連邦に売り払って、田舎に移り住んだ者も少なくない。そんな中で空いた物件は主に、急に転属となって関東にやってきた軍・政府関係者の住居としてあてがわれていた。知りもしない子供の名と身長が刻まれた柱に、競うように軍幹部の子供が自分の身長を刻みつける。ここはそんな街だ。
軍の手に渡っているのは住宅だけではない。商社が立ち退いたビルも極東方面軍統合幕僚本部や近衛軍統監部に使われ、ここのところ一挙に軍施設が集まり出したこの一帯でも、実はわざわざ新造された建物は少ない。その少ない例外のひとつが、第二七独立連隊本部のある、六階建てビルだった。
「この場所、覚えといたほうがいいよな」
あとで使い走りにやられるかもしれないと思い、南田は地図を出そうとする。
「この場所って?」
鷹山が聞き返す。南田は、外を見ていたのが自分だけであることを失念していた。
「連隊本部のビル」
ぎゅうぎゅう詰めのバッグから手探りで地図を引っ張り出すのに難儀しつつ、南田は答えた。
「案内あるだろ? いちいち覚えなくてもいいんじゃないか」
ようやく鏡をしまった坂元がそう言った。
「そういわれると、そうだな」
南田は地図をまさぐるのをやめ、再び外に目をやる。連隊本部のビルは、もう他の建物に隠れて見えなかった。
彼らが向かっている基地は、無論こことは別だ。彼らの配属される部隊が使う兵器に、この狭い旧市街は適さない。
「猿之門基地まであとどれくらいだろうな」
南田は、二人のほうをふりかえって尋ねた。ぎゅうぎゅうのバッグの中から地図を探すのは面倒だった。
「もうちょいだろ。連隊本部がそこだったんだから」
坂元がそんな観測を示したが、それがあまり正確でなかったことがやがて明らかになった。「もうちょい」の定義にもよるが、南田と鷹山が思い浮かべた距離を過ぎても、目的地には到着していなかったのだ。
南田の眺める街の景色はどんどん田舎じみてきていた。商店はローカルチェーンばかり目につくようになり、個人経営の店が比率を増している。信号停止した際に見た店先の自販機には、新製品のジュースがまったく見当たらなかった。アパートもそう大規模でなく、ベッドタウンというわけではなさそうだった。
「休暇が出ても、羽を伸ばすとこがないな」
退屈したのか南田に倣って外を眺めはじめた鷹山が、そんな感想を漏らした。
ここは本当に東京の近くか、と三人が疑念を抱きはじめた頃、角を折れたトラックはちょっとした上り勾配の一本道に入った。
「着いたぜ、曹長どの。猿之門基地だ」
運転席から声をかけられ、はじめて三人は前を見た。
登っている坂の頂上に、白く大きなゲートが待ち構えている。その両脇には同じく安っぽい白で塗られた壁とフェンスが続いており、風雨で白がくすんでいる様子は、三人に刑務所か何かを連想させた。
猿之門のゲートをくぐると、ほどなく三人は荷物ともども放り出された。トラックは別の場所に運ぶ荷物があるらしい。
「さーて、着いた着いた」
坂元が基地の地図を取り出し、自分たちが寝泊まりするようになる兵舎を探しはじめた。
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基地内の人影は案外まばらだった。主力が別の拠点に移動したという話だったが、ここまでとは三人とも予想していなかった。目的の兵舎につくまで、三人のおしゃべりが聞こえる範囲内を誰かが通りすぎることはなかった。
「ひゃっほう、新造みたいだぜ」
兵舎の姿を見て、鷹山が坂元の肩を叩いた。坂元の持っている地図をのぞきこみ、勘違いでないことを確認して、今度はガッツポーズをとった。
「運がいいって、これは」
「ああ。士官学校よりきれいとは期待してなかったもんな」
「上っ面だけ塗り直したんでないことを祈ろう」
三人は荷物をしっかり背負いなおすと、兵舎の玄関に入っていった。
塗料だかワックスだかのにおいが玄関で待ち構えていた。鷹山がやや顔をしかめたが、坂元と南田は悪臭とは感じなかった。
「お前の使っているジェルのほうがよっぽど強烈だぜ」
靴からスリッパに履き替えながら、坂元が鷹山をからかった。
三人が玄関左手の靴箱に脱いだ靴を入れようとしたところ、右手のほうから声がかかった。
「少し待ちなさい。先にこっちに来て、渡すものがあるから」
見るとそこには庶務窓口との札がついており、その下の窓から中年男性が手招きしていた。今までカーテンがかかっていて、中に人が詰めているのに気がつかなかったが、さては向こうもサボっていたのに違いない。三人はそろってそんな憶測を立てながら、窓口のそばに寄り集まった。
職員は眼鏡をつけてから彼らの顔と姓名を確認し、クリップで留められたプリント数枚を渡した。そのいちばん上には番号札が挿されており、それが各自の部屋番号だと説明する。あとは部屋で待機するようにと最後に告げると、中年職員は窓口の奥に引っ込んだ。カーテンは閉めなかったが、彼が奥のほうで雑誌を開くのを、鷹山が見逃さなかった。階下に見取り図がないことと一緒に批判対象にしつつ、三人は階段で上へと向かった。
南田が自分にあてがわれた部屋を見つけ出すのに、労力らしい労力は必要なかった。部屋番号から、自分らの部屋が四階であることは予想がついたし、実際に三人で四階まで登ったところ、すぐそこが坂元と鷹山の相部屋で、その廊下を突き当りまで行ったところが南田の部屋だった。
南田は鞄のひとつを開けると、その中から士官学校で使っていた白い名札を取り出し、ドアの脇のスリットに差し込んだ。まだ使うからもって行けと教官に言われたが、果たして本当に使いまわすシステムになっているとは思わなかった。南田は軍のケチ臭さを垣間見た気がした。ケチ臭さのことを倹約精神と呼ぶのだと習うのは、まだ先のことである。
もうひとつのスリットに札が挿されていないところを見るに、南田のルームメイトはまだ到着していないか、あるいは南田ひとりでこの部屋を使えるということだろう。どうせ前者に違いない、と、楽観はせずにドアを押し開ける。
部屋に入ると、中は廊下以上に真新しいにおいが充満していた。部屋のかたちは四隅を欠いた長方形で、一方の短辺が廊下に面している。反対側の短辺には机が壁に突き当たる格好で置かれ、向かって右には二段ベッド、左には大きな収納棚ともうひとつの机がある。収納スペースはベッドの周辺に数箇所あるようだが、今すぐどこそこ開けてみる気にはなれなかった。長時間トラックの荷台に載せられるのにはまだ慣れず、結構疲れていた。
荷物をベッドの脇に下ろすと、そのままベッドにダイブしたくなった。だがベッドは土台だけで、蒲団なりクッションなりがまだ備えられていない。脇に毛布らしきものが丸めてあるが、これだけではちょっと寝転ぶ気にはなれない。蒲団類はあとでどこかから運んでくるはめになるな、と南田は予想した。
休めないなら動くしかなく、南田は荷物の整理にとりかかった。
衣類、洗面具、教本、ノートパソコン、その他いろいろと詰め込んでいたものを並べる。今頃になって猿之門近辺の地図が出てきた。綺麗にたたまれたままで見苦しくなっていないのは良いのだが、バッグの底にあったのでは意味がない。
ふと尿意を催して、南田は早速トイレ見学に赴くことにした。
廊下に出ると、坂元と鷹山が部屋についてあれこれ批評しているのが聞こえてきた。ドアを開けっ放しにしているとこれくらい声が届くのかと、南田は記憶に刻む。
トイレに行きがてら他の部屋の名札をチェックしたが、まだどこも不在だった。用を済ませた後、軽く坂元たちのところに顔を出してから、南田は自室に戻った。
この彩に欠ける部屋は早急に何とかしなければ。そんなことをいろいろ考えながら、南田は部屋の真ん中に立ってぐるりと見回す。一周した。何かが、南田の首を傾げさせた。
「なんか変わってないか?」
部屋を空けていたのは十分ほど。ベッドにクッションでも運び込まれたのかと、南田は下段のベッドをのぞきこんだ。
そのとき。にょっきりと、黄色い物体が南田の眼前に上から差し出された。
「うわっ!」
上ずった叫びをあげて、南田はあとずさった。上段のベッドから、バナナを握った人の手が伸びている。南田に違和感を覚えさせたのは、上段のベッドにかぶさった毛布だった。そして、毛布から伸び出たもう一本の腕がそれを払いのける。
「バナナ食べる?」
やや訛りのある抑揚の声とともに、浅黒い肌の男が身を乗り出してきた。咄嗟(とっさ)のことに声が出ず、南田は首を横にふって遠慮の意を示した。
「そうか、じゃあ自分で食べちゃお」
男はベッドの上で胡坐(あぐら)をかくと、今しがた南田に突き出したバナナを剥(む)きはじめた。
「あんた、誰?」
「俺、リー・フェングォ。階級はソーチョー」
馬面気味の男はそう名乗った。曹長ならば階級は南田と同じである。
「あ、そうか。俺と同室の……」
視線を制服の右胸に流すと、「李峰國」と書かれているのが確認できた。中国系か朝鮮系なのだと、南田はやっと理解した。だが、発音をもう忘れた。
「リー・フェングォ。メイド・イン・チャイニーズなんだ、俺」
南田の目の動きと表情からその思考を推し量ったらしく、李峰國は名を繰り返した。後半の英語がどこまでユーモアなのか、南田は推量しかねた。
「リー・フェングォ曹長ね」
「うん。――ね、今のびっくりした?」
「あ、ああ」
「やったね。急いで荷物隠した甲斐があった」
そういいながら、李峰國はベッドの上からいくつかの荷物を引っ張り出し、南田に差し出す。けったいな奴だと思いながら、南田はそれを受け取って下に並べてやった。
「日本語は、普通に話せるのかい?」
自分は机のところの椅子に腰掛けて、南田は重要な質問を切り出した。重要ではあるが、もう答えはわかっているようなものだ。
「うーん、日本語のクラスじゃいちばん上手かったけど、どこか変?」
バナナをぱくつきながら李峰國が応じる。抑揚にこそ不自然さが残っているが、語彙といい、自然なくだけかたといい、驚くほど流暢だ。これでクラスの主席でなかったら、その主席は言語中枢の化け者だ、と南田は思った。
「いや、名前だけ変えたらもう日本人だよ。日本に住んでたことは?」
「一年、留学していたよ」
「覚えが早いんだな。あ、俺は南田。南田竜時」
南田は、いちおう胸の刺繍を指し示しながら名乗った。
「これからヨロシクな、リュージ」
名前を覚えた李峰國は、いきなり下の名で呼んできた。いや、苗字の発音が面倒くさくて名前を使ったのかもしれない。捉えどころのない笑顔が意味するのは後者ではないかと判断した南田は、自分も同じ基準で呼ぶことにした。
「もちろんだ、リー」
握手を交わしたところで、部屋の館内放送スピーカーのスイッチが入る音がした。二人は静かなノイズからスピーカーの位置を探り出すと、それを見つめて続く放送メッセージを待った。
「えー、あー、コホン。マイクテス、マイクテス。次は~上熊本~。上熊本~。え、なに、聞こえている? そうか。あー、失礼。――一〇〇〇時より第二大格納庫にて創設式を予定。各員、遅れずに集合せよ。繰り返す、一〇〇〇時より第二大格納庫で創設式を行う。各員、遅れずに集合せよ。電車への駆け込み乗車はたいへん危……あー、失敬。以上、放送を終了する」
ずいぶんと不慣れを感じさせる放送だったが、声色は不思議と落ち着きを感じさせるものだった。途中交ざった文言が意味不明だったが、南田は今のが上官だとしたら比較的ラッキーだと思った。初めて配属された部隊で嫌な上官にあたると後々性格が歪む原因になるなどと、笑い話ていどに聞いたことがあったからだ。
「まだ時間はあるけど、行くかい?」
南田は時計を見せながら提案した。まだ半時以上ある。
「第二大格納庫とやらも見つけなきゃいけないし。――あ、そうだ。俺の士官学校での仲間を紹介するよ」
「いいねえ。俺は中国から来たから、知り合いがいなくてね。整備組から誰か来てれば別だけど、どうせ整備の連中とはほとんど交流なかったもんな」
「東部も極東も事情は同じか。じゃ、行こうか」
二人は廊下に出て、階段のほうに向かう。折しも、鷹山、坂元コンビが部屋から出てきたところだった。南田は二人を呼び止めると、小走りに駆け寄ってさっそくルームメイトの紹介を始めた。
「よ、二人とも。こっちは俺のルームメイトで……」
「すももみね曹長か、よろしく。俺は坂元唯史」
髪を思い通りに決めてきたらしい坂元が、制服の刺繍を読んで先に挨拶する。その背中を、鷹山が叩いた。
「ばーか、『すもも・みねくに』だよ。間違えるな」
得意げな顔で、李峰國に手を差し出した。
「鷹山も違ってるぞ」
苦笑する南田の横で、当人は鷹山と握手しながらニコニコ笑っている。
「リー曹長だ」
改めて南田は紹介をするが、名前のほうの発音は即座に思い出せず、割愛した。
「うん。リー・フェングォ。実はチャイニーズなんだ。ところでバナナ食べる?」
どこに持っていたのか、李峰國は二本のバナナを取り出した。
「いや、遠慮しとく」
二人は声と挙動をそろえてお断りした。
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第二大格納庫なる建物を見つけた四人は、そこに巨大人型兵器が両手を後ろについて座っているのを見つけた。全高十四メートルもあれば、目につかないはずはない。
「おお、実機が置いてあるじゃないか」
鷹山が歓声を上げ、坂元が口笛を吹いた。南田もその感動は共感している。嫌と言うほどシミュレータでの訓練を繰り返し、ここにあるような実機に乗れたのはごくたまのことだった。実機演習ではいつも興奮して、皆で腕を競い合ったものだ。
鎮座する龍を眺めて、四人は機兵パイロットという自分たちの新たな身分を再確認していた。
「仕様は第三期かな」
鷹山が駆け寄って、細部の観察を始めた。
「四期型は充電ケーブルの接続パネルで見分けがつくはずだ。どうだ?」
「あー、やっぱり三期だな。パネルの固定部が小さい」
「おい鷹山、組み立ててないのも置いてあるぞ」
「お、バラバラ肢体か」
坂元と鷹山は仲良く観察にふけり始めた。一方、李峰國は南田にひとつ質問をしていた。
「バラバラシタイって何だ?」
「普通なら、バラバラにされた死体のことなんだけどな。俺たちが使うのは別の意味で、組み立てられてない機兵のことだ。つまらない洒落だよ」
「洒落か、俺好きだな」
微笑みっぱなしのルームメイトにまだ慣れない南田は、物色中のふたりに呼びかけた。
「なあ、何機ぶんくらいある?」
「ざっと三機ぶんくらいだな。あわせて四機ってことだ」
ちょうどそれを数えていたのか、坂元が即答した。
「ここにいる四人が乗れば、全部埋まる」
ひどく満足そうに坂元はうなずいている。南田と李はその間に二人に追いつき、龍の足元にたむろする格好になった。
「そういえば、パイロットは何人なんだろうな」
南田は龍の顔を見上げた。
「龍が四機で全部と仮定すりゃ、パイロットの訓練を受けた人間は多くても八人しかいらないな」
「なあ、俺たちは二七連隊の主力になるんだろ。龍がここの四機でおしまいってのはないんじゃないか」
「俺もそう思う」
「私もそう思う」
「ん、今の誰の声だ?」
坂元が疑問を口にした。一人称に「私」を使う者などいなかったはずだ。四人は顔を見比べあい、順次、首を横に振る。
「やあ、まだ三十分くらいあるというのに、早い集合だ。いい心がけだよ」
また声がした。遠くはない。四人は周囲を見回すが、格納庫に人影はなかった。
「あ、上だ」
鷹山が頭上、やや壁よりを指差して叫んだ。残りの三人が同様に見上げると、作業用の二階部分から、眼鏡をかえた青年将校が見下ろしていた。彼らより一回りは年かさな印象があった。
「おい、指差すなよ」
坂元が慌てて鷹山の手を下ろさせた。
「あの……」
「十時まで適当に時間を潰してくれ。ただし、その龍は勝手にいじらないでくれよ」
南田が何か言う前に、将校はそれだけ言い置いて姿を消してしまった。
「上官かな、あの人」
「たぶんな」
四人が今の青年将校についていろいろと推論をつき合わせていると、今まで他に誰もいなかった格納庫に、ちらほらと見た顔が現れはじめた。機兵関連のスタッフは数が少なく、育成場所も限られているから、記憶力がよければ全員を覚えていてもおかしくない。例外になるのは、李峰國のように極東方面軍以外の管轄下で教練を受けた者だ。南田たち同様に、みな数人のグループで談笑しながらやってくるので、お互い今は片手を上げて挨拶するにとどまった。
「よお、坂元」
珍しく、別の輪から外れて近づいてきた男がいた。ずいぶんと色白で、南田は覚えがなかった。
「お、久留(ひさどめ)じゃないか」
目を細めて接近者を観察していた坂元は、やがてそれが知り合いであるとわかって表情を柔らかくした。
「坂元、知り合いなのか?」
「久留正弘。シミュレーションで何度かタッグを組んだことがある。覚えてないか?」
「あ、ああ。そういえば、名前に聞き覚えはあるな」
南田が苦笑していると、久留なる男はそばにやって来て坂元と手を打ち合った。
「お前もここか、久留」
鷹山も知っているらしく、久留の肩を叩く。
「よろしく、南田だ」
「よろしく南田曹長。しかし、坂元がもう曹長か。さすがエリート組は違うな」
南田との握手をそこそこに、久留は坂元の階級章をつつく。
「一般課程に行ってりゃ、春には少尉だったはずなんだけどな」
「あんまり俺と階級の差をつけないでくれよ。じゃ、俺も仲間待たせてるから」
いきなり来ていきなり去って行った。口で言うほどには、今の階級差を意識した様子がない男だと、南田は感想を持った。
訓練時代の愚痴を中心に雑談しているとすぐに時間は過ぎ、創設式開始十分前になった。集合を指示する放送が再びかかったが、声の主はさきほどと違うようだった。
放送が終わって少し経つと、にわかに人が増えた。どうも前日から来て勝手のわかっていた連中が、時間ぎりぎりまで部屋に残っていたらしい。そうわかるのは、正装の南田たちに比べて彼らのなりが崩れているからだ。
「誰か知っているか?」
そのぞろぞろやってきた顔を眺めながら、鷹山は他の三人に尋ねた。
「いや、今のところはまだ」
「ああ、俺も知らないな」
「うんうん」
整備班メインのようで、見覚えのある顔はほとんどない。名と顔が一致するものなど二、三人だ。それほど、パイロットと整備員が顔をあわせる機会は少なかった。峰國に知った顔が見つからないのは当然である。
「全員、集合」
十時になったらしい。やはりあの眼鏡をかけた青年将校が上官だったようだ。格納庫に散らばっていた四十人ほどが、一斉に眼鏡男の前に集まる。誰かが音頭を取らずとも、自然と五列縦隊を作って整列する。もとから近くにいた南田たち四人は、最前列とその後ろに分布するかたちになった。
眼鏡男は、階級章から大尉とわかった。歳はそれほど行ってないので、彼もエリート組なのだろう。大尉は整列した隊員の人数を数え、満足したというよりはむしろ安堵した様子で頷くと、格納庫を見渡した。一箇所の扉が開いていることに目を留めた大尉は、適当にひとりを選んで扉を閉めにやらせた。その間、残りの者は直立不動の体勢で待つ。
「もうちょっと、密に集合」
最初の硬い口調の号令とは変わって、ややくだけた感じだった。意図を解しかねたが、とりあえず隣の峰國との幅を詰める。今更ながら、南田は峰國の背が自分より高いことに気づいた。
やがて、隊列の密集具合に満足したらしい大尉が、また口を開いた。
「あまり大きな声では言えないことでね。まぁ、寒過ぎるくらいの天気だ、暑いことはないだろう。満員の地下鉄に乗ったとでも思って、多少息苦しいのだけは我慢してくれ」
最初の放送の声の主はこの大尉だ。南田ら四人はそう確信した。
「さて、ではこの隊の……第四機兵大隊創設の経緯を語ろう」
やけに大尉は勿体をつける。隊の創設になにか秘密でもあるのだろうか。四十人は一斉に固唾を飲んだ。
「と思ったが、そのまえに自己紹介をしておこう」
何割かが、許可なく姿勢を崩してしまった。だが、大尉は気にせず自己紹介を始める。
「私は北嶋三朋大尉。君たちのなかには、私が隊長だと思っている者も多いんじゃないかと思うが、私は副隊長だ。今は大隊長代理ということになっているけれどね。なにせ、隊長の人事は未定なんだ。いや、本当はもう決まっているんだろうが、秘密事項ということだろう」
隊は創設されたのに、隊長の人事が未定、あるいは機密。南田たちは怪訝(けげん)な顔にならざるを得なかった。
「ここだけの話、少し前に連隊長も心労で倒れてね。入院中なのさ。知っての通り、第二七独立連隊は主力を他部隊に引き抜かれちゃったからね、今連隊のなかでいちばん階級が高いのが私なんだ。来て早々にそういわれたときには、正直参ったよ」
北嶋は横を向いて眼鏡をかけ直し、さらに小さくため息をついたようだった。この人は胃弱だろうかと南田がぼんやり考えていると、列の後ろのほうから声があがった。
「え、副隊長、奥さんは給料上がるかもって喜んだって言ってたじゃないですか。ほんとは嬉しいんでしょ」
やけに馴れ馴れしく軽い発言だった。列の何割かがふりかえり、その誘惑に耐えた者は代わりに北嶋の苦い表情を拝むことができた。
「矢俣(やまた)くん、こういうときは静かにしていようか」
「あ、すんません」
北嶋の注意に、素直に後方の発言者はひっこんだ。今更になってようやく雰囲気を読んで慌てたような、そんな呼吸だった。
「さて、どこまで話したかな。ああ思い出した。隊長が赴任するまでの間、たぶん、三日くらいで来るんじゃないかと思うが、それまではそこに横たわっている龍のバラバラ肢体の組み立てや、シミュレータの設置と調整などをやってもらう。編成と訓練が終わるまでは出撃の予定もないし、隊長がいなくても当面は問題ないよ。ということで、改めて……」
北嶋は調子を取り戻したらしく、最初に棚上げした第四機兵大隊創立の経緯を始めた。几帳面そうなわりには、建前ばかりの公文書を読むのは嫌いらしく、顔と、声の抑揚が如実にそれを物語っていた。
語るほうも聞かされるほうも遅い時間の流れをじっくり味わった後、北嶋は話を転じてこの基地での当面の生活についてのくだりとなった。寝具はどこから持って来ればいいか、食堂や風呂の利用システムはどうなっているか、などについてである。こちらは重要重大なところであるので、皆しっかり耳を傾け、そのあとでは活発に質問も行われた。
「では、第四機兵大隊の……」
「はーい副隊長、ダイヨンキヘイダイタイなんてのは言うのが面倒なんで、通称のほうでいいと思います」
まとめにかかった北嶋を、さっきの矢俣とかいう男が遮った。北嶋は咳払いをしてから、何事もなかったようにまとめをやり直す。
「では、黒龍隊の創設をここに宣言する。みんな協力してやっていこう」
なんだか学校のクラブの創設式のようになったが、ともかく一同「おう」と気勢をあげ、それで一同解散となった。
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その日の夜。
龍の組み立てやらシミュレータの設置やら黒龍隊の使用施設めぐりやらで、日が沈むのは早かった。夕食と入浴の後は、例外的らしい早めの自由時間突入と相成り、南田と李峰國の二人は荷物の整理をあらかた終えて、身の上話を始めていた。もう半時ほど経つ。
「じゃあ、みなしごだったのか。悪いこと聞いちゃったな」
李峰國の幼少の思い出話は、さぞかし滑稽なものだろうとの南田の期待からは大きく外れ、わりと暗いものだった。
「全然。育ててくれた親がいるから、別に不幸とは思わなかった」
「そんなものなのか」
「他の人は知らないよ。たまたま、俺はそうだったのさ」
「峰國、そう言うわりには暗い話ばかりしたな」
南田は横目で李峰國を見る。
「気のせい気のせい」
「どうだか。意外と峰國は油断ならないな」
南田は李峰國を下の名で呼ぶようになっていた。下の名の発音は面倒なので苗字の「リー」で済まそうと心に決めていたのだが、ちょっとした厄介に遭遇して早くも方針を転換せざるを得なくなったのである。
それは、人でごった返した大浴場の脱衣場でのことだった。峰國が石鹸を忘れたまま浴場に入ろうとし、それを南田は呼び止めた。自然と、声は大きくなった。
「おい、李」
すると李峰國ではない四人が同時にふりむいた。そのうちひとりは「何か用か」と尋ねてくる始末。
「俺のことは下の名で呼んだほうがいいと思うな」
浴場で頭を洗いながら、峰國はそう提案した。
「そうだな。フェ……」
「フェングォ」
「フェンゴ」
「ゴじゃなくてグォ。微妙な違いを大事にしてね」
「フェングォ」
「オッケー。やっぱり名前で呼ばれるほうが好きだな」
峰國のことのほか満足そうな顔を、南田はしばらく眺めたのだった。その後、峰國がシャンプーの泡を目に入れてしまって騒ぎ出したのは余談である。
「それで、竜時は?」
峰國は南田に話し手をバトンタッチした。
「あ、俺? 俺のプロフィールは平凡だから、聞いたって面白くないよ。それよっかさ、明日は実機のコクピット使ってシミュレーション戦やるだろ。あれの作戦練ろうぜ」
「コンビ作ってリーグ戦、だっけ」
「そうそう。相部屋のパイロットをそのままコンビにするって北嶋大尉は言っていたから、そうすると坂元と鷹山のコンビが厄介だぜ。個人技もそこそこだし、なによりあいつらは他の誰より息が合ってる。時間差攻撃なんかお手の物でさ、あれには何度もやられたよ」
「時間差攻撃…… 二機で一機に見せるの?」
「二機いるのはルールなんだからわかってるけど、まあ、そんなところか」
「なんだか月面みたいだな。それに機体を赤とかオレンジとかで塗ったほうがいいかも」
「なんでだよ」
「いやいやなんでもない。わからないなら気にしないで」
「妙なやつだな」
結局ふたりは、とりとめもないことばかり話して就寝した。
- 5 -
明けた四日には、予定通りシミュレータでの戦闘演習が実施された。南田は峰國と組み、他に坂元と鷹山のチーム、朝井秀和と群山信のチーム、久留正弘と朴洋伸(ピャウ・ヤンシェン)の計四チームが総当りする形式だった。
龍に通信ケーブルを差し込んで、格納庫の端末に接続。それを介して基地のマザーコンピュータに繋ぎ、複雑かつ膨大な計算を高速で処理する。実機とは別にシミュレータもあるが、二人しか同時に使えず、また、再現度のグレードも下がる。実機を使ったシミュレーションのほうが、少々準備に手間はかかるが、それにさえ目をつぶれば何もかも上なのだ。格納庫には四機の龍が据えられ、それを臨む三階の解析室には黒龍隊のメンバーのほとんどが集結していた。龍に異常が出ないか監視するために選ばれた数人は、解析室での観戦ができずに損な役回りである。
ルールはとても簡単だった。BLUEとRED両チームの龍が仮想空間の戦場に配置され、相手チームの龍を索敵して撃破する。それだけだ。戦場にはバロッグが発生しているという設定で、近づくまで双方とも確実な探知ができない。バロッグ内における高エネルギー変換現象の発生は乱数表によって判定され、運の要素もある。また、戦場やその天候なども同じようにランダムに決定される。
「第六戦、始めてくれ」
観戦用の大型ディスプレイを見つめながら、北嶋は戦闘開始の指示を出した。
「了解」
RED1、南田から応答。
「南田、手加減はしないぜ」
BLUE2、坂元が個人的通話。
「言ってろ」
南田が返した。
「優勝を決めてやる」
と、BLUE1の鷹山。
坂元と鷹山のコンビは今まで二勝無敗で、これから南田と峰國のペアに勝てば全勝となり、それはすなわち優勝である。別に優勝の品や賞金などはないし、そもそも優勝者を評価するなどとは一言も口にしていないのだが、彼らの士気が高まっているようなので、北嶋は別段構わなかった。しかし、あまり最初のうちから規律の乱れを看過するわけにも行かない。とりあえず、双方で続く軽口は止めねばと思った。
「はいはい、状況開始。無線封鎖だ」
北嶋の催促に応じ、解析室の側から強制的にシミュレーションをスタート。チーム間の通信が封鎖されたため、自然と無駄口も聞こえなくなった。
「さてと。ここでREDチームが勝てば、二勝一敗で両チームとも同じ成績になるね。この一戦は興味深いな」
仮想空間全体を鳥瞰するCG画面を眺めながら、北嶋は誰にともなく言った。
南田と峰國のコンビは、緒戦で朝井と群山のコンビに破れ、二戦目は辛勝を収めている。圧勝続きの坂元鷹山チームに勝てる見込みは小さいと言わざるを得ないが、不確定要素が大きいのが変則領域内での戦闘だ。小さくても見込みがないわけではない。昨日会ったばかりにしては南田竜時と李峰國の連携はよく、相性はまずまずのようだから、見ていて面白い。もっとも彼らのチームワークについてはまだまだ改善の余地が広大に残されており、緒戦では、南田が峰國の龍を敵と一緒に撃ち抜いてしまうという醜態を演じている。
左右のモニター要員の報告も聞きながら観戦にふける北嶋は、こういった作戦シミュレーションを繰り返すことで、各員の資質や性格、それから各コンビの相性などを見て行こうと考えていた。
機兵の戦術上、チームワークはきわめて重要であると、北嶋は何度か聞いたことがある。彼自身はあくまで機兵の整備関係のスペシャリストであって、自身にはさっぱり操縦経験がないので、その言葉の真偽に関してはまだコメントするだけの材料を持ち合わせない。だが、誰だか知らない隊長がやってくる頃には自分もコメントくらいできそうだ、と北嶋は思いはじめていた。
- 6 -
黒龍隊創設から三日が経った。特に外から問題が飛び込んで来ることもなく、北嶋の差配のおかげでさしたる揉め事も起こらず、すべて順調だった。
今日は十二月六日。第三回のリーグ戦もさきほど行われ、その反省会が始まるまでパイロット班に三十分の休憩が与えられたところである。八人のうち六人は格納庫に残ったが、残りの二人だけは、彼らパイロット班の詰め所である機兵搭乗員待機室に戻るべく廊下を歩いていた。ひとりはとぼとぼと歩き、その横のもうひとりはのほほんとステップしている。
「今日も負けたな」
南田は相棒に向かって冷たい視線を送った。
「俺のせいじゃないよ」
李峰國は自分の落ち度ではないと否定した。
「せっかく押していたのに、坂元の待ち伏せにまんまと引っかかって台無しにしてくれたのは、どこの誰だ」
「あれは、ほら、その場の雰囲気で」
峰國は臆面もなくそう返した。南田はため息をつく。
「まったく、明日こそはあの二人にも土をつけるぞ」
「え、昨日はあいつら二敗だろ。負けたのは俺たちだけ」
「ああ、そうだったな、思い出したくもない」
昨日の失態がまざまざと脳裏に浮かんできて、南田はますます陰鬱になった。陰鬱ついでに、開けようとしたドアのノブから静電気が走った。
「痛っ。ああ、ついてないな」
うなだれつつ南田は待機室に入り、自分の席に座って突っ伏した。峰國もそれに続いて部屋に入ったが、すぐに席には着かず、部屋の隅の給湯器のところに行って飲み物を準備しはじめた。
「カフェオレかふぇおれカッフェオレ」
峰國が謎の節に乗せて唄を始めた。いや、むしろ呪文と呼ぶべきか。ともかくそれが耳に入ってきた南田は顔を上げた。
「おい峰國、明日はそういうのん気なの、控えろよ」
「何で?」
予想しない返答に、南田は顔を上げ、やや語気を荒げて言った。
「ついに隊長が来るって話だったろ」
「ああ、その話ね。今日だっけ」
「違う、明日だって言ってるだろ」
「ああ、あの噂かあ。ほんとなのかな。掲示板の落書きでしょ」
「落書きなら、管理してるとこが削除するなりなんなり対応するだろ」
「そうか」
「しかし、なんで隊長の書類ぐらい送ってこないんだ? ほんとにデマなのか」
言いつつ、机に書類を広げてがさがさとあさる南田。
「ショムマ……ドグチには行ったんだろ?」
カフェオレを持って戻った峰國がわけのわからぬことを言ったので、南田は書類を探す手を止め、三秒間の沈黙の後にやっと相手の言わんとするところを理解した。
「ショムマ・ドグチじゃない。庶、務、窓、口! ――行ったんだけどね、そういう類のは見覚えないってさ。だから知らない間にこっちに来てたのかもしれない、と思って探してるんだが、無いね。大尉に見せてもらった創立時の書類では、隊長の関連項目が見事に空白になってるしなあ……」
「一枚も見つからないのか?」
口で言うほどにも関心がなさそうに、峰國は手にしたカフェオレのカップを傾ける。
「ああノット・アット・オールだね」
「その英語、間違ってないかい?」
「ん? 気にすんなよ」
「じゃ、南田もそんなことは気にしなければいい。隊長が誰かなんて、前もって知っていたところで損得には関係無いだろ。ま、食えよ」
身を乗り出した峰國は、机の向かいにいる南田にバナナを差し出した。
「――おまえ、毎日バナナ食ってるだろ」
「安いもんだから」
「安もんだから?」
受け取ったバナナの皮をひと剥きして南田は笑い、峰國も笑った。
* * * * *
少しばかり基地外に用事ができた北嶋は、以前であれば寄り道して家に戻り、愛妻の顔を見てきたものだが、今日はまっすぐに基地に戻って来た。北嶋を除いては士官のいない黒龍隊であるから、隊長代理でもある彼が基地を空ける時間が長くなるのは芳しくない。妻子のためにも早く隊長に赴任してもらいたいと北嶋は痛切に思った。
妻の恨み言を頭に浮かべつつ歩いていると、第二大格納庫の横を通りかかったところで、北嶋は自分を呼ぶ声に気づいた。
「班長ぉ、整備班長ぉ、これどうっすか見てくださいよ、これこれ」
矢俣(やまた)丞(じょう)だった。前任地で北嶋の下についた若者で、その身上調書には有能なのか無能なのか判別しがたいというコメントが付記されていた。事実そうだと北嶋も思う。右腕になってくれれば助かるのだが、今はせいぜい左腕の中指くらいである。
矢俣は右手に持ったクランク棒で何かを指しながら、もう片手で北嶋を手招きしていた。
「これこれと大きな声を出しても、ここからは見えないぞ矢俣くん」
仕方ないので矢俣のもとへ向かう。
「ほらこれ、膝の分解整備の手順を、マニュアルとは違う順番でやってみてるんですよ。この前組み立てたとき、一人でやるならこの順番のほうがいろいろ都合がいいんじゃないかって閃いたんで。どうです?」
矢俣が自慢げに語りながら指し示しているのは、予備部品の龍の脚だった。膝のあたりが分解途中になっている。これをひとりでやったとはさすが矢俣といったところだが、勝手に妙なことを始めているあたりが矢俣の評価を下げている所以(ゆえん)である。
「うん、これだけ見てもすぐにどうとは言えないが、壊さないと約束するならそのまま研究してくれてかまわないよ」
適当に釘も刺しつつ、北嶋は矢俣の好きにさせることにした。
「ういっす、がんばります。まあ見ててくださいよ」
お礼もそこそこに、矢俣は作業に戻る。北嶋がそばに残っていることなど気づかないかのように作業に打ち込む彼の姿を見て、北嶋はしばしその場で見ている気になった。
やはり手際はいい。矢俣はときどき作業の手を止めると、頭の中でその後の手順を確認したり、部品の構造をイメージしたりしているようで、手がその通りジェスチャーしている。
「矢俣くん、新しく加わったメンバーとはうまくいっているかい」
北嶋はふとそんなことを尋ねてみた。
「ええ、いってますよ。明日来る隊長ともうまくやっていければ、言う事なしです」
やや間を置いてから、矢俣は答えた。
「何? 明日隊長が来るだって?」
北嶋は耳を疑った。
「聞いてないですか?」
「ああ、初耳だ」
「噂になってますよ。どこの誰かは知らないけれど、来るってことはみんな知ってます」
「まるで月光仮面だな」
「班長、古いですよネタが。班長は洒落なんか言わなくてもいいんです。そういうボケは俺たちがちゃんとやりますから」
「なにを請合っているのだか。それで、どこで聞いたんだい」
「隊長赴任の話ですか? それならネットですよ。近衛軍のネットワークにある掲示板に、本人が匿名で書き込んでました。『自称本人』かもしれませんけどね。ははは」
「匿名で本人とは、どういう意味だい」
「投稿者名が『黒龍隊隊長(匿名希望)』になってたんですよ。管理者が削除しないんで、デマじゃないと思うんですけど」
「近衛軍のWebサイトにそんな書き込みがあるとはね。しかしやっぱりそれはおかしいな。そんなふざけた投稿が載るはずがない。――待てよ、その手口どこかで」
北嶋は郷愁と胃痛を同時に感じた。
- 7 -
西暦二〇二二年十二月三日。それは、近衛師団の第二七独立連隊に、新たに第四機兵大隊が創設された日である。第二七独立連隊第四機兵大隊、では名が長いので、「黒龍隊」という通称が定められた。外廓聯の三分隊である「白龍隊」、「青龍隊」、「赤龍隊」に倣ったものである。部隊の創設目的は、遊撃任務に忙殺されている外廓聯に代わって、首都東京や軍団司令部などを防衛すること。軍の機関紙にはそう書かれている。
正面戦力は今のところ機兵「龍」四機。第四期生産に伴い十機にまで増強される予定だが、前線でない日本に実際にそれだけの数の機兵を回すかどうかは怪しいものである。また、隊員の練度も低く、叩き上げである外廓聯の各分隊に劣るのはどうしても否めない。
この隊の創設に関しては中央議会もだいぶもめた。前線に出ないから練度が低くてもかまわないのか、首都防衛隊だからこそ精鋭でなければならないのか。結局曖昧なまま、つくるだけはつくったといった感がある。新型装備の実験任務も兼ねさせるという但し書きが、曲がりなりにも議案をパスさせた功労者であるが、これこそ黒龍隊の真の創設目的が別にあることを示している。首都防衛のためなどと本当に信じているのは子供だけだ。亜細亜連邦とはそういうところだった。
亜細亜連邦の裏の世界は深い。それに疲れた脱落者がときどき自殺したり、発狂に至ったりする。それらに比べると第二七独立連隊の連隊長の場合はだいぶましなほうだった。官僚軍人が急病で入院というニュースソースを提供し、機関紙の読者の気分を幾分暗く、あるいは明るくしたという、その程度で済んだ。ただ、一通りの治療が終わっても連隊長の鬱状態はひどく、現役復帰は無理と診断された。それが先月三十日のことである。
新設の機兵部隊が所属する連隊の、隊長が不在。鳴り物入りで部隊を作る以上、指揮系統の不備を放置して創設に踏み切るわけにはいかない。政治的に遅延を許されない状況下で、しかしながらそれに適任な人物はなかなか見つからず、ただ時だけが無為に費やされそうな状況にあった。業を煮やした連邦軍の上層機関、戦略軍は、中央議会軍事委員会に打診したうえで、近衛軍統監部にある命を下した。それはある意味もっとも合理的で、且(か)つ驚異的なものであった。
十二月三日、第二七独立連隊長は正式に異動。ようやく第四機兵大隊の隊長として見定めた男に特別の昇進を言い渡し、連隊長も兼任させるという辞令を出した。創設にぎりぎり間にあわせたわけだが、残務引継ぎやら何やらの諸問題があって、隊長が実際に赴任するのは四日遅れとなった。なお、戦略軍の秘密主義と過剰な気配りのおかげで、この人事に関しては情報統制が敷かれた。よって、幸か不幸か、黒龍隊隊員たちは隊長がどこの誰なのかまだ知らない。
そして、彼らは運命の十二月七日を迎える。
* * * * *
「うむ、いい出来だ」
男は、いつか出版する気でいる自伝の一節を書き上げて、満足げにノートパソコンを閉じた。
男を助手席に乗せた車は、東京の郊外に位置する旧市街を疾走していた。
時として、猫の子一匹通るのを見かければ運がいいとまで揶揄(やゆ)されるこの街にしては、その車はずいぶんと珍しかった。扁平でありながら角の張ったボディに、色あせたような赤一色のカラーリング。各部の意匠は数十年前のモダンさがいかなるものかを見る者に理解させる。
燃費の悪そうなエンジン音を立てつつ、いくつもの角をきわどいドリフト走行で曲がったその車は、やがて迷いようもない一本道に出た。その坂道の続く先には、高い塀が横に長く広がり、その中心に極端に大きなゲートを持つ、近衛師団の猿之門基地がどっかりと腰をすえている。
目的地まであとわずか。車はラストスパートよろしく加速したが、坂の真ん中まで来る頃には、明らかに力不足になっていた。
「おい、力が足りてないぞ。ギアを落とせよ」
助手席の男は、運転席に向かってそういった。
「俺一人なら登れる。お前が乗っているからいけないんだ。――おい、腕が邪魔だ。どけろ」
運転手は同乗者の腕を追っ払うと、うんざりしながらクラッチを踏む。
なんとか無事に坂を上りきると、車はゲートの前に停車した。
暇で居眠りしかけていた門衛は、その音を聞いてやおら椅子から立ち上がった。見ると、軍のものではない派手で珍妙な車。民間人がいったい何をしに来たのか、門衛としては不思議に思って当然である。目をこすりながら窓を開け、様子を見ようと顔を突き出した。風が冷たい。
「ここは軍の基地だぞ。道でも間違えたかい」
門衛は居丈高にならないように、同時にへりくだらないように意識しながら、民間の車に向かって呼びかけた。だが、返事はない。フロントガラス越しに見やるに、中で運転席と助手席の二人が会話しているようだ。談笑しているのか、口論しているのか、判別はつかなかった。とりあえずわかったのは、運転手は小柄のようだということだった。
なんにせよやがて会話は終わったようで、左のドアが勢いよく開け放たれた。しかし、中から人は出てこない。いや、出られずに奮闘していた。
「んがあぁぁぁぁ! 開かんかこのドアはっ! ――でおりゃっ!」
獣のような咆哮と、それに続いて金属板のへこむ音が、基地のゲート脇の壁に反響した。車のドアは開いたが、同時に見事にひしゃげてしまっている。
門衛は応援要請の必要を感じた。手はもう通信機に伸びている。しかし何と言って応援を呼んだものか。状況の説明を試みた門衛は、再び不審車のほうを見た。そして門衛は自らの見立て違いに気がついた。運転手が小さかったのではない。助手席の男が異様に大きかったのだ。門衛が目を円くして見つめるなか、巨漢は車から難儀そうに右足を引っ張り出した。
「おお助かったぞ友よ。さすが科学特捜隊のレプリカ車は乗り心地が悪かったが、まぁ一応、俺の借りということにしておくぞ。今度何か奢ってやろう」
並の人間なら両手で何とか持つようなバッグをひょいと小脇に抱え、スヌーピーの絵柄のシャツと綿ジャージ、革ジャンに身を包んだ謎の巨漢は、蹴り開けたらしいドアをバタンと閉めた。が、変形したドアはきちんと閉まらずに跳ね返る。有り余る衝撃でひとしきり車がゆれてから、中の運転席から返事があった。
「ほざけ。そのドアの修理代のほうが馬鹿にならん。さっさと啓示軍どもを蹴散らしてから、妄言でも大言壮語でも吐くんだな」
「まぁそう言うな。照れるぜ」
巨漢が今度は車の屋根をたたいた。運転手はもう何も言わず、車をバックさせて逃げ出した。
門衛は、その巨漢が自分のほうに歩いてくるのを見て反射的に生唾を飲み込んだ。
「よう、ご苦労さん。怪しいかもしれんが、俺はこういう者だ」
身分証を差し出したその手で、返事を待たずに男は遮断機をはねのけた。
- 8 -
午後。南田や峰國をはじめとするパイロット班の面々は、待機室に集まっていた。他でもない、四日遅れで到着する隊長を待っているのである。
部屋には隊長用のものを含めて十人分の机椅子がある。今は、そのうち七席が埋まっている。椅子に座した七人がそろって沈黙しているので、時計の秒針の動く音さえ聞こえるくらいだった。沈黙を破って峰國がカフェオレをすすったそのとき、ドアが開いた。十四個の目がいっせいにそちらを向く。
「今となっちゃ半分無駄だけどな、隊長に関する書類、やっと手に入れてきたぜ」
息を切らせて入ってきたのは坂元だった。片手には、ひと綴りの書類を携えている。
「司令部まで調べに行ったんだ? お暇ですなぁ」
口の手前で保持していたカフェオレのカップを再び傾け、一口飲んだ峰國が言った。
「せっかく取ってきたのに、言い方がひどいんじゃない? 嘘ついて司令部まで車出させるのに苦労したんだぜ」
言いつつ、坂元は自分の席につく。
「そうそう。李は仕事サボってたくせに」
鷹山が彼を援護する。
「まあまあ。とりあえずそれを見ようじゃないですか、曹長どの」
言い争いにならないうちにと、隊員のひとり、朝井が書類のほうに話を進める。
「ああそうだな。坂元、読んでくれよ」
「いや、全員で見たほうがわかりやすいぜ」
鷹山の提案を坂元が却下し、皆が彼の席に群がり始めた。
だがただ一人、峰國だけは自分の席に腰掛けたまま動こうとしない。それに気づいた南田は、峰國の思考がすでに今日の夕食の献立に及んでいることに予想がつきながらも、同僚の義務として一応、声をかけた。
「峰國、おまえは気にならないのか?」
南田の問いに李峰國が答えようとしたその時、部屋の扉が勢いよく、それこそ破れんばかりの勢いで開かれた。今度は十六個の目がドアに向けられる。
ドアの開いた奥には、ひとりの男が立っていた。将校の制服を着たその男は、日本人のようだが、そのわりに身の丈(たけ)は六尺半ほどの巨体で、尚且つそれが横にも長い。弁慶もかくやといったその男は、きわどくも入り口の幅をクリアし、待機室にずんずんと入ってきた。
部屋にいた八人は全員、微動だにしなかった。いや、できなかった。その巨漢は、存在するだけでその場の雰囲気を完全に支配していた。巨漢は室内を見回して自分を見つめる八個の顔を眺め、そして叫んだ。
「これが俺の直属の部下になれる幸せな連中かぁ! うむ。からかい……いや、鍛え甲斐のありそうな連中だ。諸君、神の采配に感謝したまえ!!」
あまりの太い声に、部屋にいた全員が思わず耳をふさぐ。が、気にせず男は続ける。
「俺が隊長として来たからには、この隊に俺の認めない秩序は存在しないものと思え!」
全員が呆然として反応のない様に気づいてか否か、かってに喋(しゃべ)り続ける。
「まぁ具体的には……。一つ、俺に逆らわぬこと。二つ、すべての企みは俺に許可を取ること。三つ、体重の話はしないこと。四つ、飲食時に胃袋の限界など気にしないこと。五つ、幕僚長よりも俺を信用すること。六つ、女には優しくすること。七つ、前項に関する資料は俺に提示すること。八つ……何だったか?」
初めて言葉がとぎれ、頭をぼりぼりと掻(か)く姿を見てようやく勘づいたものが問う。
「その体格、その性格……。ま、まさか、あなたは!?」
「知らぬのか? 我が名は江藤……江藤博照少佐である!!」
数秒間、全員が絶句していた。
江藤博照。その名は軍ではよく知られている。外廓聯で名を馳(は)せながらも赤龍隊を放り出された、世界有数の機兵のエースパイロットとして。
何故こんなことに。自分がいったい何を。いつのまに少佐に昇進したのだ。統監部は何を考えている。青春とは何だっただろうか。母よ。――彼らの心の叫びは、すべて切実で真実のものだったであろう。だが、いかなる叫びでさえ、神はそれを聞き入れてはくれない。沈黙に支配され、絶望が飛び交い、恐怖が這(は)いずり回るその部屋を、解放できるものは一人としていなかった。
「どうした? うれしくて声が出らんか? そうかそうか、気持ちは分かるぞ。だがな、我々は明日からでも実戦に出なければならないのだ。テキパキと事を進めんとな。ではまず、機兵搭乗員は直ちに第二大格納庫に集合!」
ようやく南田が口を開く。
「訓示でありますか?」
「訓示? 俺はそういう暇なことはしない」
「では何を」
「昨日の晩までにお前らの履歴書などには目を通したが、書類だけでは人の本質はわからん。よって、シミュレータでの模擬戦ではあるが、俺が直接相手をして機兵操縦の腕を見てやる」
南田は、背筋が凍りつくのを感じた。
- 9 -
「おう、お前たち早かったな。ずいぶんと張り切っていると見た」
のしのしと格納庫にやってきた江藤は、そんなことを口にした。機兵パイロット用の装備をつけて身が重くなったパイロットたちを全力疾走で集合させた後のことであるから、被害者八人の目には早くも隊長への不信の色が漂いはじめる。
それに気づいているのかいないのか、江藤は視線を彼らから後方に転じた。
「ほう、なかなか整備が行き届いているな。結構、結構。思えば、無傷の龍には長らくお目にかかっていない」
江藤は鎮座する龍の姿を見て、赴任して初の誉め言葉を口にした。その声はパイロット八人のみならず、格納庫じゅうの人間に聞こえるものだった。
「なんだ、あれは」
「どこの将校だよ、でかい声だな」
まだ事情を知らない整備班員らが、胡散(うさん)臭いものを見る目つきで囁きあう。それに反応して江藤の耳がひくひくと動いたように、八人には見えた。まずいと思った坂元が、不自然に大きな声で江藤の前言に相槌を打つ。
「そりゃ、外廓聯以外で初の機兵大隊ともなれば、まわされるのは新品ですから」
坂元が江藤の視線をひきつけるのと同時に、残りのメンバーはさりげなく江藤の背後に回り、ジェスチャーと口パクで他の者に事情を悟らせようと奮闘を始める。
「なあ、パイロットの連中は何をやってるんだ」
昨日ばらした膝の調子を見ていた矢俣は、つきあわせていた同僚とともに首をかしげた。熊のように大きい男の背中で七人が踊っている。いや、パントマイムだろうか。
「なんかあの熊を指差して言ってるな」
「見えるか?」
「口をか? 見えねえよ。でも、なんであいつら操縦服なんか着てるんだ」
再び首をかしげる。そのとき、坂元のわざとらしい大声が聞こえた。
「ですが隊長、あいにく、まだ四機しかありません」
特に「隊長」にアクセントが置かれていた。いくらか事情を解した矢俣は思わず叫んだ。
「ああ、わかった! あれ俺たちの隊長だ!」
ばかに大きく矢俣の声は響き渡った。江藤の低音に対して、矢俣のやや高い声は人の注意を引きやすい。彼の発言は、江藤も含めた全員の視線をさらった。慌てた同僚が矢俣の口を塞ぐのが遅すぎたのだ。
「そうだ、俺が黒龍隊の隊長さまだ。覚えておけよ皆の者」
改めて、江藤は整備班員にも自己紹介する。先ほどの待機室の状況が、拡大して再現された。
「俺、運悪い」
矢俣が肩を落としながら呟いた。沈黙の中で、それはあまりにも大きな呟きだった。
「おいそこ、聞こえているぞ。官姓名を名乗れ」
江藤は矢俣を指差して尋ねた。射抜くような気迫がある。
「や、矢俣丞。伍長です」
「よし。では矢俣、今から実機のシミュレータを使うから、五分で準備しろ! 四機ぶんすべてだ」
鬼め、とその場にいた全員が思ったことは間違いないだろう。
そして、それをわざわざ口にしたうつけ者が一人いた。江藤がそれを聞き漏らすはずもない。
「なにか言ったか李曹長?」
江藤の視線が李峰國を突き刺す
「い、いえ、なにも」
「俺には聞こえたが?」
「空耳……ではないでしょうか?」
ノンメイクでもホラー映画に出られそうな顔ににらまれながらも、何とか李峰國は流暢な日本語で返答した。江藤はいぶかしげにその顔を見据えて、その額に人差し指を一本つきたてた。寸止めしてはいない。額にめり込んでいる。
「そうか……。では峰國! 貴様が最初だ」
今度は中指からデコピンが繰り出され、それを食らって李峰國はのけぞる。脇から横目に彼の受難を見届けた南田は、江藤の発した呼び名に当然ともいえる疑問を抱いた。
「江藤少佐。何故、李曹長を名で呼ぶのでありますか?」
すでにパイロットうちでは峰國という下の名で通っていたが、江藤がその名を使うのには抵抗があった。
江藤は明快な答えを以って示した。
「この第二七独立大隊には李という姓が六人もいる。間違いのないように名で呼ぶのだ。それに、そのほうがat homeで良いではないか」
自慢げに笑みを浮かべるその顔は、決して作り物ではないと皆が確信した。この男は、人をからかって遊ぶのが趣味なのだ。その冗談に巨体の生み出す膂力(りょりょく)が加わることを考えれば、赤龍隊追放にいたった過程はなんとなく推察できる。
「今の説明では不服なようだな。 いや、貴様も名で呼ばれたいのだろう。ウムウム。わかった。この江藤博照、部下の願いを黙殺するようなことはせん。今度からは竜時と呼んでやる」
「け、結構であります」
南田は慌てて辞退したが、言葉の原義は踏まえておくべきだったろう。
「そうだろう、そうだろう。結構、結構。フハハハハ……」
言語は正しく用いることが肝要である、とは、江藤が黒龍隊にもたらした教育的メッセージの記念すべき第一弾である。彼の存在は、国際化の進むなかで言語の用法の誤りが減少することには微かに貢献しているだろうが、それ以外の面において何らかの福利をもたらしているであろうか。後世の歴史家が時おり話の種にすることになるのだが、この話は置いておく。
数分後、同僚に不承不承ながら手伝ってもらった矢俣が準備完了の報告に来て、峰國が最初の犠牲者として龍のコクピットに乗り込む段になった。
南田たちはかける言葉が見つからず、ただ固唾を飲んで彼がコクピットに入って行くのを見守った。
「あ、上で観戦しないとな」
鷹山が思い出したように呟き、パイロットは皆、三階の解析室に走って行った。あの江藤博照がどうやって龍のコクピットに体をねじ込むのか、その姿を見ようという発想がわいて出る余裕は、まだ彼らにはなかった。もっとも、その光景は矢俣丞の脚色が加わった上でまことしやかに黒龍隊じゅうに語り継がれることとなる。
一方、龍のコクピットで峰國は生まれて初めて神に祈りつつ、通信回路を開いた。
「江藤少佐、どのような演習を行うのでありますか?」
通信機を通して余計に太くなった江藤の声が答える。
「模擬戦だとさっき言っただろう。演習マップ一〇四号を出せ。ホストは俺だ。天候などのシチュエーションはこちらで設定する。が、装備は好きな物を選んでよし。準備が出来しだい開始するぞ」
「はい」
「“はい”じゃない! 返事は“ラジャー”もしくは、“了解”だ!」
「りょ、了解、少佐」
- 10 -
解析室には、黒龍隊の隊員が大勢むさ苦しく寄り集まっていた。シミュレーションを見物しようというのである。が、覗(のぞ)き込まれているモニターにはエラーメッセージが映るのみ。新任隊長に異常を報告しようにも、龍との間の通信回線が何故か作動しない。解析室からのコントロールが失われているのだ。
ずっと端末をいじっていた夏明仁(シャー・ミンレン)伍長が落胆の吐息を漏らした。
「ダメだ。完全にシャットダウンされてる。隊のあらゆるパスワードを試したが受け付けない。くそっ! 大隊長用のパスワードでも使ってるのか!?」
「原因はわかるん?」
坂元がじれったそうに顔を突き出す。
「大隊長用のパスワードを利用しているなら江藤少佐しか考えられないですがね、自分にはどうしても少佐にこんなことができるとは思えないですよ。見るからに脳味噌なさそうで」
背後で数人が頷き、同調の意を表している。
「他に、コンピュータのバグとかもあることはありますが……。連結したEPUが、偶発的な処理ミスの蓄積を自己修復できない可能性はかなり低いですね。まず除外していいでしょう。他となると、さっぱりです」
「そうか……。南田、李峰國は大丈夫かな」
「さぁ、どれだけ長く遊ばれているかってところだろうなぁ。おい、通信回線だけでも復旧できないか。声だけでも聞ければだいぶ違う」
「やってみますよ曹長どの。富士本、手伝ってくれ」
「おう」
夏明仁は見物人をひとり作業に引き込むと、通信回線の復旧に取り掛かる。慣れないシステムに多少戸惑いながらもすいすいとキーボードを叩く二人の姿は、パイロット組を感心させるに十分だった。パイロットとしての教育を中心に叩き込まれた彼らには、夏明仁や富士本裕也が何をやっているのか、さっぱりわからない。
数分ほど経って、待ちきれなくなった坂元が進捗状況を聞こうと沈黙を破った。
「なあ夏、いま」
「坂元曹長、矢俣に龍のケーブルがちゃんと接続されてるか確認させて」
「あ、ああ」
質問は引っ込めて、坂元は階下へ放送をかけるためのマイクのところに行く。
「おーい、矢俣伍長。ケーブルの接続を確認してくれってさ」
窓から下を見ながらそう言うと、それまでじっと龍を見守っていた矢俣が、解析室を見上げて片手を上げた。それからすぐに矢俣はケーブルの様子を見て、今度は両腕で頭上に丸を作った。
「ケーブルに問題はないみたいだ」
坂元は手旗信号の実習を思い出しながら夏明仁にそう伝えた。夏は矢俣のチェック結果に疑問の呟きを漏らしながらも、富士本とともに手探りの復旧作業を続ける。パイロット組はだんだん自分たちの手持ち無沙汰が情けなくなってきた。
「通常の通信回線が封鎖状態になっているけど、ケーブルのほうと違ってまだシステムの応答がある。無効にされてる設定を手動で有効に直せば、たぶんいける」
夏が画面から目を離さずにそう言ったときには、坂元、鷹山の二人は解析室から姿を消していた。下の整備班員らに状況を伝え、なんとなればコクピットハッチを外から強制開放させようと意気込んでのことである。
「坂元、事故だと思うか」
階段を駆け下りながら、鷹山は友に所見を尋ねた。
「わからん。でも事故にせよ事件にせよ、江藤少佐が一因なのは間違いないと思うぜ」
「だよな」
「わかっていても、相手が少佐だけになあ」
「北嶋隊長代理を呼んでこよう」
「いや、大尉は今日も統監部に用事があるとかで外に出たはずだ」
「ちっ、間が悪いな。――よっと」
二人は最後の数段を飛び降りて、一階に着いた。格納庫の区画に駆けていき、手近にいた矢俣に状況を説明する。
「マジ? 外から見た様子には異常ないんだけどな」
矢俣は残りの者に状況を伝えつつ、龍の様子を間近で見ようと歩み寄る。峰國の乗った龍のそばまで来て、駆動音などに耳を澄ませてみるが、そんなことをしても機械の調子などわからないのが今の矢俣であった。やっぱり駄目かと肩を落としながら、龍の脚にもたれかかる。だいたい龍は電池駆動で、座っていれば静かなものだ。どでかいエンジン音をうならせる自動車や飛行機のようにはいかない。
「うう、修行が足りないかあ」
大げさに落ち込むそぶりを見せる矢俣。しかし誰も見てくれていない。坂元や鷹山がああだこうだと大きな声で対策を論じているのが聞こえるばかりである。やれやれと龍の脚から背を離したところ、矢俣はある異変に気づいた。再び背を脚の装甲にぴたりとつける。あきたらず、反対を向いて手や頬まであててみた。
「やっぱり」
とある事実を確認した矢俣が続けてなにか言おうとしたとき、プシューッと圧縮空気の抜ける音がして、峰國機を見張っていた連中のどよめきが聞こえてきた。矢俣も走って龍の正面方向に回る。コクピットハッチが開いたようだ。
矢俣が見たときには、コクピットハッチは内壁まで開いて、出入りに邪魔になるモニターやコンソール類も脇にどいていた。だが、李峰國はハッチのへりに手をかけたまま、止まっていた。いや、よく見ると軽く痙攣していた。
「フェ、峰國!」
解析室の窓からハッチ開放を目にした南田が、息を切らしながらルームメイトに呼びかけた。それに応じて峰國が顔を出し、引きつった笑顔を見せたが、急に口元を押さえて体勢を崩し、下からは姿が見えなくなった。
「おいおい、大丈夫か」
坂元はややあきれ気味だった。外部からモニターできないアクシデントがあったとはいえ、李峰國はただシミュレーションをやってきただけなのだ。実戦に出てきたわけではない。峰國のへたばり具合は演技にさえ見えた。
演技なのかそうでないのか、峰國はかなり時間をかけてコクピットから這(は)い出ると、右手を口に当てたまま昇降用ワイヤを手繰り出し、下に降りようとする。その動作があまりに危ういので、慌てて数人が駆け寄る。が、なんとか自力で降りることができたようだ。フラフラの峰國に、南田が問う。
「何があったんだ。模擬戦でこんなフラフラになるなんて」
峰國は質問が聞こえたようだったが、ちらりと南田に目を向けるだけで、答えられない。十数秒のあいだ肩を上下させて、吐き気を抑えた峰國はようやく口を開いた。
「じ、地獄だ……」
呟くと、それきり気を失ってしまった。
同時に、隣の龍のコクピットハッチから江藤が顔を出す。
「ひ弱な奴め。外廓聯の連中はそんなではなかったぞ。しかたない。今度は三人で来い」
それだけ言うと、再びコクピットの中に引っ込んだ。体のほうまで出し入れするのがかなり面倒であるがゆえの行動であったが、それは南田たちの目には挑発的にしか映らなかった。
南田は峰國を矢俣たちに預けると、坂元と鷹山に目配せし、ヘルメットを取って敢然と龍のコクピットへと向かった。矢俣が引き止めるようなことを言ったようだったが、内容は頭に入ってこなかった。あのふてぶてしく太い男に、目に物を見せてやらなければ。南田の頭にはそれしかなかった。
- 11 -
コクピットシートに身を収めた南田は、ヘルメットをかぶって顎当ての締まり具合を確かめ、靴をフットペダルに固定。ベルトを締めて、操縦姿勢となった。ほどなく、峰國のときと同じ実施要綱が江藤から一方的に宣告され、いったん向こうは通信を終えた。こちらに作戦会議のための時間をくれている。その意図を解した南田は、遠慮することなく僚機二機との通信回線を開いた。
「相手は一機、こちらは三機。戦力は三倍だが、危険も三倍だ」
訓練時代に教官が使っていた常套句(じょうとうく)をまねてみた。
「了解。だが、リスクは分担できる。あの教官は頭が悪いんだよ。数が多いほうが有利に決まってる。負けるわけにはいかないな」
「初期の貧相な訓練設備しか知らない少佐に、最新鋭の施設と情報で育った俺たちの経験と実力を見せつけてやろうぜ」
坂元と鷹山から自信と意気込みに溢れる応答が帰ってきた。
「そうだな。ん、ちゃんと通信できるんだな。おい、解析室、聞こえているか」
通信途絶のことを思い出して、南田は解析室との通信を試みた。が、応答はない。機器の表示は通信がちゃんと開かれているようになっているのだが。一方で、坂元や鷹山とは通信ができる。
「こっちも解析室には通じない。龍同士のレーザー通信だけが生きているみたいだな」
「他の回線も生きてるふりをしてるけど、実際は死んでる」
「きっと江藤少佐には奇策があるんだ。その種を見られないように、モニターできないようにしたんだろう」
「それ、ありうるな。強いっていう第一印象を俺たちに植えつけたいんだ」
「じゃあますます負けられないな。鷹山、ぬかるなよ」
「そっちこそ。南田は適当にフォローしてくれ。俺と坂元のどっちかが囮になって、もう片方がその隙を突く」
「りょ、了解。体勢が整うまでは不用意に仕掛けず、距離をとるんだな」
「ああ。誰かが先に撃破されたら、そのときはケースバイケースで」
「適当だな、お前。ま、とにかく最善を尽くすか」
「シチュエーションがわからない以上、武器はバリエーションをそろえたほうがいいな。俺はオプションミサイルと念のために雷紫電、それから追加の情報通信パックで行く」
「わかった。情報通信パックをつけるなら、指揮は南田に任す。俺は火縄と予備弾倉で。鷹山は予備弾倉を減らしてミサイルを持って行け」
「勝手に決めるなよ。ま、偶然ながら俺の思っていたのと同じ装備内容だけどな」
「はいはい」
そのまま続く二人の掛け合いを聞きながら、南田は宣言どおりに装備を設定。あとの二人も設定を終えたのを確認してから、通信機で江藤機を呼び出した。
「少佐、準備整いました。いつでもどうぞ」
精一杯背伸びして軍人らしく言ったつもりだったが、やはり自分の声は深刻さとか厳粛さを欠いているという事実を認識し、南田は情けない思いがした。やはり気楽にいこう、あまり真面目なのも自分の柄ではないから、と気持ちを切り替える。
「そうか、ならばいくぞ」
南田の逡巡を読んでいたようなタイミングで、江藤から返信があった。半ば身震いも交えて背筋を伸ばした南田は、メインモニターの右上にあるデジタル時計が時を刻み始めるのに目をやった。コンマ何秒か遅れて、モニターに擬似的な風景が映し出される。最新技術を駆使したCGで再現されたのは、廃墟となったビル街だった。バロッグは発生しているが、その濃度は低い。バロッグの濃度というのは一般にエネルギー変換現象の発生確率で値が決められ、確率が高いほど濃度が高いと呼ぶ。
「俺たちの作戦には向いているな。――峰國の弔い合戦だ!」
呟き、足元のペダルを踏み出す。コクピットが揺れ、モニターに映し出される風景が動き出す。心地よい初動の振動は、龍が歩き出すとすぐにうっとうしい連続周期振動に変わる。
歩行をセミオートに切り替えると、南田はレーダー表示に味方の位置を求めた。が、自機の位置を示す中央の点以外には、識別できる機影はない。どうやら自信満々の隊長も、三機を同時に相手するのは無理と見えて、こちらの配置は分散させたらしかった。とりあえずは江藤よりも坂元や鷹山を見つけなければならない。左腕に装備したミサイルをいつでも撃てるようにして進行する。
五、六分が経過した。いまだレーダーに二つ目の点は現れず、多少焦りを覚えなくもなかった。気分任せに角を曲がりつつ、南田は単調な街並みの中に例外的な広場を探していた。三対一という優勢を、戦技において圧倒的に勝る江藤の各個撃破によって覆されないためである。坂元たちと合流したら、そこに江藤機を誘い込もうという目論見(もくろみ)である。だが狭い街路はあるものの、前後左右、どちらを向いてもあるのは廃ビルの群れ。
――この光景。
「八月の悪夢」。それは南田にとっては、生まれる前の出来事である。しかし、幼い頃からマスコミや幼稚園、学校などでその恐ろしさは嫌というほど聞かされてきた。小学六年生の時には、学校で実際の記録映像を見せられて、そのむごさに二ヵ月ほど悪夢を見ることになった。
二十年以上経っても原因がつかめない、あのできごと。それがまた起こらないという保証はない。現に数年前、北海に怪しげな巨大隕石が落ちたとかでだいぶ騒ぎが立った。結局、今も噂の真偽は確かめられていないが、確実に言えることがひとつある。その隕石騒ぎ……つまりは「北海疑惑」が啓示軍の台頭と深く関わっている、ということだ。
イレギュラーの振動がシートを突き上げ、南田は現実に引き戻された。障害物として設定されていた路上の廃車を踏みつけたらしく、後方監視モニターにアルミ缶のようにひしゃげたミニカの擬似映像が映し出されていた。さらにもう一台の車が足元にひっくり返っていることを対地レーダーが伝え、周囲への注意を怠っていることに気づいた南田は、その車をまたいでよけて、慌てて各センサーの表示をチェックする。
「未確認熱源なし、レーダー反応なし、バルムンクフィールド探知不可……っと」
今のところ異状はなかった。最後にもう一度、全周囲索敵用の円形レーダー表示に目を移すと、ちょうどそのとき二時の方向に大型移動物体の存在が表示された。識別表示RED2。坂元だ。南田からレーザー通信で接触を図ったところ、ややあって返答があった。
「南田か、こちら坂元。開始直後に、堂々と幹線道路を歩いている隊長機を発見した。雷紫電を左手に持っているが、他はよく見えなかった」
「鷹山は?」
「さっき会ったが、散開した。位置は打ち合わせてあるから、レーザー通信はできる」
「江藤少佐の現在位置は?」
「トレースはしていないが、少佐機はそちらから見て一時の方向、一番大きい道路を北に向かって移動中のはずだ。その先に鷹山が潜んでいる。そっちの情報通信パックの指向性電波を使えばリンクもできるかもしれない」
「わかった。少佐に気づかれないように鷹山に接近してみる。少佐が俺に仕掛けてきたら、青の信号弾を上げるからすぐに来てくれよ」
「了解。攻撃開始のときに通信が利かなくなったら、赤の信号弾でよろしく」
「そんなことしたら、俺が狙われるじゃないか」
「そこを後ろから襲うから」
「了解だ。ただし、俺は撃たないでくれよ! 実戦にしこりが残る」
坂元の軽い笑い声を通信機越しに聞きながら、南田は機体を北に走らせる。シミュレータであっても実際と同じように振動が再現されるため、速度をあげたのに伴いコクピットの上下運動はかなり激しくなった。ちょっと前まで訓練で幾度となく味わわされたはずであるが、南田はその振動に違和感を覚えていた。妙に揺れる。
機体の状態チェックをかけるが、異状はない。相対バルムンク反応による探知を防ぐために足のマスディフューザの出力を絞っているので、それで龍の全重量が足の接地面にかかっているためだろう、と南田は見当をつけた。バルムンクフィールドが展開されている状態でなければ機兵の有効性は低く、通常領域での作戦は本来機兵の出る幕ではないので、訓練でもシミュレートしたことが少なかった。
「ま、現実には有り得るだろうからな。実戦に出ていた人は違……う、ううっ」
激しい揺れが、遂には平衡感覚を崩しはじめたようだ。すでに江藤機は視認できておかしくない距離で、そろそろ後方の敵機接近を告げる警告音を、江藤は聞いているはずである。ふらふらしていられる場合ではない。
「――走行だけで酔ったなんて、洒落にならないな」
そう独白したとき、センサーがはるか遠方の鷹山機をキャッチした。江藤機の監視を怠らないように注意しつつ、鷹山との交信を試みる。
「鷹山、聞こえるか。リンクシステムを作動させる。聞こえているか」
表示灯は通信の確立を示した。が、鷹山からの応答がまだ来ない。
「鷹山、聞こえているか、鷹山」
「南田か、隊長の龍に後ろを取られた。ちっ、くそ、逃げられん、悪いが単独でしかけるぞ」
「なに、そんなはずはないはずだ。江藤少佐の機体は俺の近くに……」
南田は江藤機の姿を確認しながら、鷹山の応答を待った。しかし、いつの間にか向こうでスイッチを切っていたらしい。龍同士で情報を共有し、演算を分担するリンクシステムも作動していない。そして、鷹山機はセンサーの有効圏内から消えた。
「隊長の龍に見つかっただって?」
江藤の龍は確かにまだ南田機の視認範囲にいて、そしてゆっくりと北上中である。距離から言っても方角から言っても鷹山が後ろを取られるはずがないし、江藤機は交戦状態に入っていない。
「どうなってるんだ。おい坂元、今の聞いていたか」
「ああ、奴は何を言ってるんだか…… あ、おい南田っ、少佐機がそっち進路を変えたぞ! 戦闘機動速度だ」
「なっ」
見れば江藤機の姿がない。龍が自動で識別・追尾していたので、急いでそちらに顔を向けさせ、ミサイルを構える。南田が江藤機を正面に捉えたとき、すでに江藤機は肉迫していた。雷紫電を手に突っ込んでくる。南田はすかさずミサイルを一斉射した。この距離ならば、発射さえされれば命中は間違いない。
飛びすさりながら江藤機への着弾を確認した南田は、建物を飛び越えた後ろに着地。ランチャーを投棄して雷紫電を構える。ともかく道路沿いに左に走り、反撃に備える。
やがて煙が晴れたが、江藤機の姿はない。撃破扱いなら残骸が表示されるはずで、煙の向こうの景色は江藤機がまだ健在であることを示していた。
「どこだ」
全方位を索敵。同時に、坂元を探す。援護に駆けつけるなり、狙撃体勢に入っているなりしているはずだ。だが、どちらもレーダーにかからない。他の計器をチェックして、バロッグの濃度が急上昇していたことに初めて気づく。
そのとき、ミサイル接近の警告音が鳴り響いたかと思うと、コクピットが横方向の衝撃に揺れた。背後に被弾。情報通信パックを失ったが、幸いメインロケットは無事だった。それをチェックしながらも、南田は平行移動と同時に機体をスピンさせ、脚からミサイルを放った江藤機をロックオンした。今ので飛び道具を失ったらしい江藤機は、一時後退してビルの陰に消える。その左腕がすでにないことを、南田は目ざとく確認していた。ミサイルから本体を守ったのであろう。
ロックオンこそ外れたが、被弾して火器も失った江藤機の位置は予測の範囲であった。南田は雷紫電を構えなおすと十一時方向に機体を疾駆させた。さらに途中からメインロケットを噴射。ビル陰に隠れた江藤機を再びロックオンすると、すぐさま低層ビルを踏み台にして跳び上がった。眼下には江藤の隻腕の龍。近接格闘用の照準レティクルが、振り向きざまに電磁槍を突き上げようとする龍の姿を捉える。中心に固定されたレティクルが緑から赤に変わり、南田の龍は電磁槍を両手で突き立てるように振り下ろした。
バシッ!!
閃光と電子音が放電を擬似再現する。渾身の一撃は、命中したかに思われた。しかし、一秒も経たない間に激しい衝撃がコクピットを打つと、南田は理解しがたい状況に自分が晒(さら)されていることに気づいた。
目の前にいた龍は、跡形もなく消えていたのだ。電磁槍は舗装道路に突き刺さり、乗りかかる相手を失った自機はしりもちをついていた。撃破と同時に消失するようなシミュレーション設定は軍では使用していないはずである。もし規定外の設定がなされているとしても、南田の振り下ろした電磁槍は、まだ標的を貫いていないのだ。
「何だ? デコイ(囮)だったのか?」
高度な電子戦においては、電子的に敵から自分の存在を隠すことができるのと同じように、何かがそこにいると敵コンピュータに思い込ませることも可能である。だが、南田機がミサイルで破損したのは確かなのである。携行ミサイルで武装した歩兵がいる設定だとでもいうのだろうか。南田はますます鷹山の言葉が気にかかりはじめた。
「坂元、応答しろ。そっちはどうなっている」
龍を立ち直らせながら、現れなかった坂元を呼ぶ。だが、返信がない。機器の表示を見直して、南田は舌打ちする。情報通信パックを破壊されたため、坂元機をロストしてしまったらしい。だが鷹山機と違い坂元機は近くにいたので、すぐに見つかるはずだ。南田は道路から電磁槍を引き抜き、回れ右をして走り出した。もちろん、新たな江藤機の出現にもじゅうぶん気をつけて。
坂元は江藤機のあとを追っていたので、先ほど倒した囮の移動ルートを逆にたどっていくと、やがてビルの一部が破壊されている一画を発見した。さっきの戦闘での流れ弾がこちらに来ることはないと確かめた南田は、そこから別の道に入ろうとして、後方監視モニターにちらりと何かを見とめた。急いで制動をかける。
目にとまったものは、頭と右腕をもがれ、他にも各部に傷を負った龍の姿だった。右手に持った火縄をそばのビルに突き立てて、なんとか機体を支えている。かろうじてまだ動けるようだった。よたよたとこちらに歩いてこようとしている。
「坂元、少佐にやられたのか」
南田が通信を入れた直後、坂元機は前のめりに倒れこんだ。通信途絶。
「おい大丈夫か!?」
反射的に、南田は駆け寄ろうとした。が、そのときだった。
「自分の心配をしたほうがいいのではないか? 南田竜時よ」
まだ聞き慣れない、太い声が聞こえてきた。
「何、どこだ」
もうレーダーは当てにしていない。龍の目を使ってあたりを見回す。最後に首を後ろに向けたとき、半ブロック先の路面に大きな影がさしているのを目にした。
江藤の龍が、そこにはいた。
- 12 -
解析室では、いまだに夏明仁と富士本裕也ががんばっていた。格納庫は格納庫で、まだ気絶したままの李峰國をあとから駆けつけたパイロットらがおろおろ世話している。そして、矢俣たち数人が龍の異常振動について調査を開始しようとしていた。
「何を騒いでいるんだ?」
天使を見たクリスチャンのような顔が、格納庫に量産された。北嶋副隊長のお帰りである。皆そろって安堵の溜め息をつき、矢俣が代表して状況説明を始めた。
「班長、それが、新しく来た隊長がシミュレーションで模擬戦をやりはじめたんです。その隊長がでかいのなんのって、あれは羆(ひぐま)よりでかいですよ。声も雷みたいに轟くし、むさい顔してるし。野獣みたいなくせにやけに手の込んだことして、最初にシミュレーション戦の相手をした曹長殿がこんな状態です。あ、手の込んでるってのは、隊長のした細工のことで、シミュレーション実行中の龍の異常振動と、外部との通信遮断が認めらます。ここはひとつ、班長の独断と自己責任であのデカブツ少佐のコクピットハッチを強制開放してもらいたいんですけど」
矢俣はそれだけ一気にまくし立てた。それを静かに聞いていた北嶋は、部下の言いたいところを短く換言して見せた。
「それは、隊長としてやってきた江藤博照を引きずり出せ、ということかい」
「え、なんで名前まで知ってるんです」
「君たちが知っている名を、僕が知らないわけがないだろう。まったく、近衛軍の統監部が情報を渋るから、こうして手遅れになった」
「班長?」
矢俣の呼びかけを無視して、壁のところまで歩いて行くと、北嶋はそこに設置された通信機のスイッチを入れた。つないだ先は、解析室である。
「解析室、応答してくれ。北嶋だ。ああ、明仁くん、今から僕が言うことをよく聞いてくれ。マザーコンピュータのハッキングはそろそろ撃退されているはずだ。あとは僕が今から言うパスワードを入力すれば、解析室からの管制は復帰する。それができたら各機のハッチを強制解放、システムも全部カットするんだ」
幼子を諭すような口調で北嶋は指示を出し、ゆっくりと、しかしやけに長いパスワードを諳(そら)んじる。
解析室で作業もなげやりになりつつあった夏明仁は、顔に疑問符を浮かべつつも北嶋から言われたとおりにパスワードを入力する。すると、今までのことが嘘のように管制システムは素直になり、夏と富士本は勇んで通信の復旧とハッチの強制解放を始めた。
「う~ん」
同じ頃、格納庫では気絶していた峰國が軽いうなりをあげ、目を覚ましていた。続いて解析室からの信号で龍が緊急にシミュレーションを停止し、コクピットハッチを開放。やがて、げっそりとした南田たちが姿を現した。
「班長、これはいったい」
「あとでまとめて説明しよう、矢俣くん」
北嶋は、珍しく怒った顔をしていた。
- 13 -
猿之門基地には、いろいろと妙な施設や区画、部屋がある。
もともとさまざまな意味での実験基地として設置されたものなので、のちの設備拡充を考慮しての設計でもあるが、本当に必要なのか疑問の払いきれないものもたくさんある。
たとえば、今、予備の機兵格納庫として使われている場所も、もとは無駄に広い運用設計ミスの産物だった。ブリーフィングルームというのもその仲間で、今となっては誰が何のために設計に入れたのか、基地の誰も知らない始末である。書類整理の便宜上、黒龍隊の作戦や戦術の確認および立案用、とされている。
だがそれとは別に、黒龍隊用の区画には彼らの詰め所とも言うべき待機室がある。南田らが江藤を迎えた場所である。さらにもうひとつ作戦室というのもあって、こちらは黒龍隊が所属する第二七独立連隊の名義になっているのだが、傀儡(かいらい)としての性格が強いとはいえ江藤博照がその連隊長であるため、事実上ここも黒龍隊優先の施設となる。
「二度とこんなことはするんじゃないよ!」
そのブリーフィングルームで、北嶋が江藤を叱りつけている。右手に丸めて持ったプリント冊子をときおり机に打ち付けてパンパン鳴らしているが、それでも彼の口調には畏怖の念を呼ぶような響きがまったくない。叱られている当人のほうは、興奮する北嶋を持て余すようにも見え、言い訳を考えあぐねているようにも見える。
それを見ているのは黒龍隊の全員。南田たちシミュレーションに参加した者たちも、多少のめまいを残す程度に回復している。ただし、峰國に限ってはまだ正気では無さそうだ。
十分間も説教をまくし立てていた北嶋がついに言葉を詰まらせたとき、江藤はその間に何とか構築していた反論を持ち出した。
「いいじゃないか。外廓聯の仲間は吐き気を催しただけだったし、気絶するのは訓練が悪いせいだ。だいたい、シミュレータなんて技術屋の過信の固まりで装飾されているんだぞ。そんな平坦な廃墟があるわけないから、ちょっとリアリティを加味してやっただけだろ。それより、そろそろ窓閉めようぜ。寒くなってきた」
部屋の窓はすべて開け放たれていた。先刻、峰國がビニール袋をいわゆるゲロ袋として使用したため、臭いが立ちこめて他の者まで連鎖反応を起こしかけたためである。
「話は終わってないぞ。――だいたい、あんなことをすればそれぐらいは当然だ! 振動係数をいじったりデータを改竄(かいざん)したり、正規のプログラムにないバロッグの設定を無理やりねじこむし、挙げ句に架空の龍二機をマザーコンピュータにバックアップさせて操るとは」
それが、地獄と称された江藤の訓練の実であった。酔いかけた相手を通信不能にし、しかも自分の機体は最適な環境での稼働レベルに設定を改竄したうえ、同様の機体をさらに複数投入するのである。聞いている者たちは皆、開いた口が塞がらないと言った感じだ。南田が撃破する直前に龍が消えたのは、北嶋の手配によってマザーコンピュータへのハッキングが撃退された結果であった。
「今度こんなことをしでかしたら、おまえの小学生の時の秘密を隊員全員にばらすぞ」
北嶋は最終最強のカードを切った。
「なっ、そ、それだけはやめろ! 分かった、分かったよ北嶋。俺が悪かった。――これでいいんだろう?」
ソファーにずぶずぶと沈んでいた巨躯(きょく)が急浮上し、ぺこぺこと頭が縦にゆれる。南田たちにはにわかに信じがたかったが、江藤の表情は焦りと動揺に染まっていた。血管の浮いてきはじめた北嶋をなだめすかすように、というよりは悪戯を叱る親に許しを請うようなその声の調子や仕草は、まわりから見ればかなり奇異なものであった。
「次は無いからな」
舌戦に辛勝を収めた北嶋は、そう言い残してブリーフィングルームを出て行った。
何故、「上申するぞ」ではなく「秘密を隊員全員にばらす」なのか。何故、大尉である北嶋が、少佐であり、大隊長兼連隊長でもある江藤を叱っていたのか。彼らに分かるはずもなかった。
第四機兵大隊、通称“黒龍隊”。彼らの受難は、まだ始まったばかりである。


